機械、あるいはAIと関わること
ちょっと前に読んだ面白い話。
AI とプレイヤーとが共同して、コミュニケーションしながら敵のボスを破壊する。
(略)
前半面では、プレイヤーは自機を操作しながら、AI の教育を行う。AI は自動的に弾避けを 行うけれど、それが戦略的に正しければ「良し」を、間違っていれば「ダメ」のメッセージを送って、 犬に芸仕込むときみたいに、AI に正しい避けかたを教えこむ。
(略)
自機には片道分の燃料しか積んでいないし、ラスボスは固くて、 最後は自爆しないと倒せない。
(略)
直前になって、AI からは最後の通信が入る。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2008/03/post_617.html
「博士。私は死ぬのですか ?」
このあたりは、(指摘がまだされていないけど)MGSの小島秀夫プロデュースの『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS』に通じるところがある。
このゲームでは、主人公が乗り込む戦闘用ロボットの操縦サポートAIがよくしゃべり、それに対してプレイヤーは直接の操縦とは無関係だけれども、肯定的あるいは否定的なリアクションを返すことができる。
こんなやりとりはゲームパート中では、<〜の使用を提案>とするAIに対して「了解」と切り替えてもらうような操作サポートや、<発射準備完了、撃てます>とするAIに対して「こいつでとどめだ!」と主人公が燃え上がったり、というぐらいのものだけれども、プレイ体験にかなりの色を添えてくれる。
そしてシナリオパートでも微妙な(良い意味で)AIっぽさを醸しだす。例えばこんな感じに。
「戦闘AIにしちゃずいぶん手際がいいじゃねえか」
http://www.geocities.jp/clearfeathers/anubis/ada.html
「以前のランナーの影響です」
・・・・・・
「お前は惚れた男に合わせるタイプだな」
「理解不能です」
「こいつはしょせん命令を実行するしか出来ねえ」
http://www.geocities.jp/clearfeathers/anubis/ada.html
「その通りです。プログラムに命令を越えることは出来ません」
「情けねえ」
そしてストーリー上、このAI(が組込まれた機体)は敵の拠点兵器を破壊するために自爆する、という予定になってたりもする。
でもこの線はけっこうご都合主義的にあっさりと回避されて、下記のようなmedtoolz氏のアイデアほどまでにはすごい事には至っていないのが残念といえば残念。
このゲームは終盤、最後の帰還不可能ポイントを越えるところで撃墜されれば、 プレイヤーはもう一度、AIと最初からやりなおせるし、自爆命令なんて出さずに済む。 全人類の運命と、AI の運命との選択を、プレイヤーがわずかでも悩んだら、 きっと面白い体験ができるはず。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2008/03/post_617.html
個人的に面白かったのは最後のところ。
アヌビスではゲームとして、誰でも分かりやすくなるよう全部言葉でしていたけれども、それに対してこの恋愛STG案でなぜこのようなアイデアとしたかの裏づけになる部分。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2008/03/post_617.html言葉を介さないコミュニケーションのこと
言葉や台詞などなくても、感情の交換は十分にできると思う。
機械とのコミュニケーションを物語の核にするやりかたとして、人型ロボットを 登場させるとか、喋る戦闘機を設定するのは分かりやすいけれど、つまらない。
感情は本来、相手から伝えられるものではなくて、自らが対象に「投影」して、「発見」される。
ブログにはまとまっていなかったけれど、Twitterでの断片もついでに回収。
犬なんか見てると、絶対に「餌くれ」ぐらいしか考えてないはずなのに、笑ってみたり拗ねてみたり、様々な感情を投影できる。「ワン」しか言わないし、動作は事実上ランダムだけれど、感情の交換、あるいは一方的な投影は、十分成立する
http://twitter.com/medtoolz/statuses/770693784
「アイボ」みたいな、今から見るとごく単純なロボットにすら、あれを持ってた人は、感情を投影した。「自分のことを分かってくれる」とか思った人は多かったらしい
http://twitter.com/medtoolz/statuses/770694093
その続きがまとまっている「http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2008/03/post_618.html」はテーマがまたぼくの関心とは違う方向に進んでいっているけれども、やはり面白い。
ひとまず話の続きになる冒頭部のみ挙げる。
フランスのテレビ番組「シューティングゲームの歴史」の中で、プレイヤーの人が「弾幕を介して、開発者の人とコミュニケーションしている気分になる」なんて喋ってた。チェス名人を思い出した
ディープブルーと対戦したロシアのチェスチャンピオンは、「相手は機械なのに、まるで異質な知性と対決しているようだった」と感想を漏らした。弾幕とチェス、表情もなければ言葉も喋らない。でもそこに、コミュニケーションがある。
自閉症の人は、しばしば十分な知性を持っているにもかかわらず、「空気を読む」とか「相手の感情を読む」のがすごく苦手なんだという。
自閉症の動物行動学者の人がいて、人間の感情は分からないのに、動物がどうしてそんな行動をするのかはよく分かるんだという。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2008/03/post_618.html
そしてまたTwitterに戻る。
「投影」の考えかたを、もう少しいい言葉見つけたい。触覚みたいな感覚は、指を動かさないと発生しない。視覚もまた、眼球のわずかな振動を介して初めて発生する、動作が必要な感覚
http://twitter.com/medtoolz/statuses/771822903
コミュニケーション、あるいはその双方の極で起きている感情体験は、相手から発せられた記号を解釈した結果ではなくて、そのコミュニケーションの中での自分からの動きから始まり、それに対して予期しえないリアクションが連鎖する中で動いていく。
この時に、何らかの感情を引き起こしたものが、究極的には全て「こちら側」にあるとするのが投影という概念。
そうではなくて、動きを捉える(≠捕える)見方がしたい。
転移・逆転移とか、dyadとすると動きが出てくるし、三つめの項を加えてtriadにするとより今風な感じか。