森博嗣の道具箱

森博嗣の道具箱―The Spirits of Tools (中公文庫)
日曜日に読了。寝かせていた。
(今Amazon見たらプレミアがついてた。危いところだった。)

「素晴らしい性能には、素晴らしい形を」という意気込みとして、製品の形が作られる。したがって、僕たちの目に見えるのは、その意気込みにほかならない。

p.42

高級な道具を手にして気づくことは、どこかに無駄がある、という点だろう。洗練されたものには一点の無駄もない、というイメージを抱くかもしれないが、実はそうではない。「最高級」とは、これ以上に無駄がない合理化の頂点よりも、一歩上に位置するものであって、そのただ一歩に、人間、職人、伝統、歴史、そして未来を見据えた「遊び」のデザインが注がれている。


(略)


その無駄にこそ作り手の心意気が感じられる。

p.114

ものを作る「技術者」としての視線。
この前行ったボストン美術館では、絵をロクに見ずにものばかり見ていたのだけれど、その時にこのような作り手の意気込み・心意気をあらゆる展示品から感じていて、それが楽しかった。

航空工学で有名な佐貫亦男博士は、「優れたスタイルの飛行機はそれに乗る人間を鼓舞する」と幾度も書かれていた。
僕は、人がテクノロジィに憧れる気持ちこそが、テクノロジィの最終的な目標だと考えている。


(略)


デジタル製品が、供えなければならないものは、この価値である。

p.57,58

でもそうして作られたものと関わるとき、そこから感じるものにまで視界が開けたのが発見。ボストンでは相手は展示品、そして何世紀も前の作り手だったけれども、自分が直接手にする何かについてなら、もっともっと動く心がある、ということ。
日曜日晴れているうちに、どこかバイクででかけようか。周山あたりなら桜がいい頃合いかな?