三次元への嫌悪/二次元への逃避論争

ここ数日の流れが面白かったので備忘録的にメモ
ちょっと前の承認欲求とかの論よりもより射程が広いのが良い


発端

私達は、ノイズがあらかじめ消去されたクリーンな二次元に囲まれている。グラビアのヌードだってちょっとした蔭や皺は修正されていることがあるだろうし、化粧品のコマーシャルの女優の顔のアップなど、毛穴が不自然なほど消されている。
そういうものに慣れてしまうと、いざ混沌とした現実を目の前にした時にうろたえる。うろたえて気分が悪くなるような体験をすれば、ますます三次元の実体/実態から遠ざかりたくなる。

三次元ヌードへの拒否反応 - ohnosakiko’s blog


オタク方面へ流れていく

二次元とリアルをきちんと使い分けていた人たちは要領のいい人たちである もしくはあまり二次元に興味ない人だろう 多くのオタクはリアルとヴァーチャルの狭間をフワフワと漂っている しかし中には不器用なオタクが2次元ヴァーチャルとリアルの区別ができなくなりリアルな女性に嫌悪しか感じない重症なものも出てきた 彼らはリアル女性に魅力を感じない性欲も感じない 人間とは別のものに理想を求め恋してしまった若者だから

二次元はリアルを超えるか [エイリアンに恋する若者たち] - わがままジジイの独り言


身体性についての言及

男子でも女子でも、三次元への拒否反応する人は自分の肉の体に対してどう折り合いつけてるのか気になるなー。

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080712/1215841333

また、こうした美醜感覚は、自分という避けようのない身体を肯定できなくなる点でより深刻だ。まだ授業のヌードモデルを拒絶するくらいはいい。けれども、自身の身体という醜悪なるものに気付いたとき、これから逃れる術はない。最も身近にある醜悪なるもの。それは自分自身である。オナニーひとつするのも一苦労だろう。これほど醜悪なる自分の肉体を意識させられる瞬間はない。そんな自分を愛するには大いなる欺瞞が必要になるだろう。強力な自己否定を無意識下に押し込めた自己愛というのは辛い。健全な自己愛を得られないと他者への愛も育ちにくくなる。

三次元ヌードの否定は自己否定への道|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記


二次元と三次元の逆転

一時期の私は、「二次元キャラクターを現実の異性の代用品にしているオタクが沢山いる」と思っていた。だが最近は、その正反対の事態も起こっていると考え始めている。即ち、物心ついた頃から二次元キャラクターを理想少女としていた人達にとっては、まず二次元美少女ありき、であって、三次元の異性は、二次元の異性の代用品にすらならない、という事例が起こりえるということだ。

「現実異性の代用品」を超えはじめた、二次元美少女達 - シロクマの屑籠


他者からの逃走

現実の異性や他者との対峙には、自分の願望や想像力に合致しない違和感・齟齬・摩擦が必然的につきまとう。そこが辛いところであるとともに、面白く奥深いところでもあるわけだが、理想のキャラクターを消費するだけであれば、自分好みの想像や願望に合致しない部分をみつけて傷つくことは無いし、自分の願望とキャラクターとの齟齬に苦しむリスクも無い。現実の異性や他者に接近していけば不可避な、傷付きや失望に遭遇せずに済ませてしまうことが出来る。
(中略)


経済的な臍の緒さえ保たれる限りにおいては、理想のキャラクターにくるまれたまま、案外快適なスタンドアロン天寿を全う出来るのかもしれない。コミュニケーションを通しての承認欲求や所属欲求は、ニコニコ動画2chにお任せしつつ、美少女や美少年のキャラクターを消費するという生き方には、他者との遭遇・直面は含まれていないし、範疇的に考えるなら、やっぱり“アウト”っぽいけれど、果たしてどうなのか。“他者”からの逃走に特化した人達の行く末を、しっかり見届けたいと思う。

“他者”からの逃走、としてのキャラクター消費 - シロクマの屑籠

リアルな他者・自分自身の身体を否定するという筋で、二次元オタク、やおい摂食障害を包括的に考える手がかりに。