Quakeにまつわる記憶

ふと思い出して書きつけてみる。
マイミクのきっと誰にとってもおもしろくないことのような気もするけれども。
先に弁明。
ムシャムシャしてやった。今は反芻している。


Niftyにもまだ繋ぎつつ、インターネットにもダイアルアップで繋ぎはじめていた頃からの話。
タダでできるゲームを探してフォーラムを徘徊している中で、シェアウェアFPSというものに触れことがあった。
その前から雑誌LOGINなんかでDOOMの話を読んでいたのかもしれないけれども、単純にスゲーと思っていた。
それまではNiftyで98やWin用の面白いフリーウェアのゲームなんかをいろいろしていた(SamegameとかDepthとか)けど、レベルが違う。
FPSという未体験ジャンルだったこともあるにせよ、全然違うゲーム体験をした。


DOOMはまだよかった。
グラフィックがまだチャチだったし、マルチプレイをできる環境は都内某所にあったマルチプレイ用の店だけだったし、「まだまだ続きがあるよ」等といわれても、その続きよりは他のシェアウェアを探すことの方に関心があったから。


しかしQuakeを6分割(FDサイズ、28.8kbp接続の当時としては気の遠くなるほどの大容量)でDLしたとき、世界が変わった。
DOOMみたいに2次元平面のスプライトから描いた疑似3Dではなく、ポリゴンでの3D空間がそこにあったし、それも「ポリゴン」という言葉を広めていたスターフォックスなんかとは別次元のものだった。
(疑似3Dではない3D描画には、初めてのWindows機・IBM AptivaについていたDescentですでに触れていたけれど)
スタート地点からの難易度選択・Act(章)選択からFPS画面で、シェアウェアでは到達できないAct2以降への期待も膨らませられた。
そしてTCP/IP経由、つまりインターネット経由で簡単にマルチプレイができるという。


秋葉原T-Zoneかどこかでこの日本語マニュアル版を入手してシングルプレイをクリアして、いざマルチプレイ
最初は本当にあてずっぽうで接続先サーバ名を入れて接続したように思う。quake.comとでもいれたんだろうか。
300ms近い回線ラグに加えて、その補正を行わないネットコードもあって劣悪な環境だったけれど、その時、確かに電話線の向こう側にまだ見ぬ相手たちに気づいた。


それから後づけでwebサイトで情報を調べ、日本のQuake総本山、Tri-6に入りびたるようになる。
入門過程解説の「ホームページ」を作ったり、クラン"XYU"に入ってみたり、ircチャットに定期的に行くようになったり、いろんなMODをあさったり。
ちょうどその時にQuakeに触れることがなかったら、これほどまでにPCをいじったり、ネットにはまったりということはなかっただろうと思う。


全くもって反応がなさそうな気もするけれど、続く。全然続いていない。(2008/03/29)