2008/07/29 『崖の上のポニョ』を見てきた/『ゲド戦記』の補追として見る

崖の上のポニョ
いろいろなタイミングの重なりで見に行ってきた。
まさかこんなに早くに見ることになるとは思っても見なかった。


やれアヴァンギャルドな宮崎駿の悪夢の具現化だの、『ゲド戦記』での意味のない父親殺しシーンへの返歌だの、手書き作画によるやっぱり『ゲド戦記』へのアンチテーゼだの、ぬいぐるみが化け物だの、クトゥルフ神話を踏襲してるだの散々ないわれようをしているが、まぁ単純におもしろいかどうか、と聞かれるとやっぱり微妙なとこかもしれない。


でも、ちょっとググっただけだと他に言っている人が見つからない視点として、ゲド戦記』で息子・吾郎氏ができなかったことを、代わりにやっつけようとした、というのがあるんじゃなかろうか。

  • 異界(冥界)と地上との境界がほころび、つながってしまい、それを修復すること(『さいはての島へ』のテーマ/「フジモト」のフジは不死につながる)
  • 両界の間を取り持つ存在としての半人半魚の少女ポニョ(魚は竜に通ずる/半人半竜の少女テルー)

もちろん、こうしたモチーフは普遍的なものとも言えるし、こじつけもいいところかもしれないけど、『ゲド戦記』の次のジブリ作品が『ポニョ』、ということを考えるとこの線はそう馬鹿にできないように思う。
こう考えると宮崎駿ゲド戦記ファンタジーを想像(妄想)できて俄然おもしろくなってくる。


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そして、もうひとつのジブリ製『ゲド戦記』として見ると不思議なポイントが浮かび上がってくる。
異界との境界を開くのも、その調和を再びもたらすのも、どちらも「あちら側」の半魚人少女・ポニョなのはなんでだろう。
人の過ちを人の英雄が正す、というのではなく、「あちら側」に重心が置かれているのは、宮崎駿がそれほどまでに「あちら側」に引きずり込まれている、ということなのか。
千と千尋の神隠し』でも海の中を電車で進んでいくシーンが印象深かったけど、こんどはもう完全に水没してしまってる。大丈夫か。


結論。リサのドラテクはプロのラリードライバー級。
ペダルを踏み換える数コマがアツかった。