非永続的・非実体的なあり方

前者は崇拝の対象の像を陶器や鉄器で作る技術がすでにあった、大陸からの新宗教(仏教)の伝播前の時期に、宗教的な人工物が見つからないことについて。巨石や巨木なんかを信仰対象としていたことだけが理由でないとすると、木製の、恐らく当時でも朽ち果てることが予見されていた材質で信仰の対象を作っていたということになる。不朽の神性とかではなく、もっとライブなものを求めていたんじゃないかという話。
あるいはそもそも人工物を崇拝の対象とすることを考えすらしなかったのかもしれない。
神社や寺なんかで「御本尊」が強調されなかったり、時にはそもそもなかったりするけれど、これは教義体系を精緻化すると同時に立派な「像」を崇める宗教とは全然違うものなんじゃないか、というのが後者。中空構造論なんかに繋がるところかも。