無理数と複素数の続き

「意識で分析・解釈可能なものとしての無意識」というのではなく、「知性では理解不可能なものとしての魂(spirit)」を考える、ということを主張していた昔の人がいたのに、今となってはspiritualと言うと分析どころか、恣意的なあてはめになってしまったのはなぜか。
実数に対する虚数とか、有理数に対する無理数のようなものの存在を思うことこそ、spiritualなものについて思うときに良いモデルとなるであろうに。