2008/06/24

ことは一ヶ月前に端を発するらしい/つい先日1時間ほど瞑想をすることとなった

  • ラスト・フレンズの最終話はたいがいだったけど、グダグダでもアンコール編が気になったりもする。
  • 某友人氏がPCを新調するのでソフマップへ行くなどした。初期不良の対応してもらうだけのはずが検証と組み上げ直しまでしてくれるとは良くできた店だ。
  • 研究室の別の人らとお酒を飲みに行くなどしたのも楽しかった。今にして思うと、二次会のセッティングは、半年ほど前に研究室で愚痴ったことと符合していた。ありがたいこと。


自分の回りで何が起こっているのか、よくわからないことがある。「何か起こっている」と感じること自体が主観なのだろうけれども。客観的にはつながりがないはずのことでも「流れ」のようなものを見出してしまう。

なので自分の中にあるものを見つめないと。


最近はこんなことを考えている。ずいぶん乱暴な切り出し方だけれども。

「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。
そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。
私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦める。
というのが「妥協」である。
(中略)
現実になったかもしれないこと、現実になるはずだったこと、現実になればいいなと欲望していたこと
(中略)
「他者との共生」者は、そのような「現実になるはずだったのに、ならなかった私」のような幻想についていつまでもぐじゅぐじゅ考えない。
(中略)
武道の場合はもっと贅沢である。
他者の出現によって、私の動線や可動域のオプションが一気に増大した、と考えるのである。

妥協と共生 - 内田樹の研究室

一見不自由ななかにある自由をもっとリアルに感じたいがために、3時間ぐらいぶっ続けで走れるツーリングに行きたい。
エンジンの調子が悪くてアイドリングがさっぱり安定せず、街乗りだと一時停止の度に失火したりもする。
人と立ち会うようなことの代わりに、機械と交わることを志向しているのはどうかとも思うけど、そこから始めるしかないか。